自分基準で生きるとは?自分を傷つける言葉からの脱却!

他者基準で悩む人 自分育て

他人基準で生きるのではなく自分基準で生きたいと願い、実践中です。

先日「なぜ私は自分を傷つける言葉ばかりを探し続けてきたのか?」その理由がわかりました!

それは『親を幸せにするため!』です。

「親に幸福感を持ってもらうために、私は良い子であることを自分で選択して生きて来た!」ということに、気付きました。

これを他人基準を自分規準に変換する練習中に発見しました。

本日はそのように気付くに至ったきっかけ、練習方法などについてお話ししたいと思います。

自分基準で生きる!自分を傷つる心を癒すにはどうしたら良いの?

私はこれまで「親から良い子にさせられていた!」とか「良い子であることを強制されてきた!」というふうに感じていました。

ところが 現実の生活がなかなかうまく進んでいかないことから、あるワークを始めることにしました。

そのワークの中にあったのが「自分基準で生き直す!」というものです。

「自分の人生は、誰かに邪魔されている!」と言うような感覚を持って生きるのはとても苦しいです。

大切なのは「自分の人生は自分で作っていくことができる!」という感覚を持つことです。

「これまでの人生も自分で望んでそのようにしてきた!」と思えて初めて「これからも自分の判断で生きていける!」と進んでいけます。

なのでこれまでの人生を振り返って「今までも自分の判断で自分で作ってきた!」と思う必要があります。

しかし、そのように考えられるようになるには、少し練習が必要です。

私も1年ほどかかりました。

私の練習した方法とは「○○された!」という言葉を「自ら望んで○○した!」と言い換えるものです。

「○○された!」 →  「○○させた!」へ言い換える

これを練習をするようになってから、1週間くらい経ったころ最初に出てきたのがこれです。

私は良い子でなければ生きて行けなかった!

「○○された!」に比べると少し前進した感じがしますよね!

少しの変化を大切にしようと考え、この新しい発見の感覚を何度も思い出すようにしました。

そして色々な言葉を 「○○された!」から「○○した!」に 書き換えて行きました 。

「 会社に左遷された!」→「会社に左遷させた!」

「バカにされた!」→「バカにさせた!」

「『なめとんのか!』と言われた!」→「『なめとんのか!』と言わせた!」

その時ピカッとひらめきました!

「あなたは上司を舐めていたんですか?」

「いいえ!そんなつもりはありません。」

じゃあ「いいえ、なめてはいませんけど!」と言ったら良いんじゃないの!

なぜ私は反論出来なかったの?反論しなかったの?

それは「私がその言葉を受け入れたからだ!」と、この時気付きました。

その時私は何も反論しなかったのですが、反応しなかったというより、「何も言い返せなかった」と言うのが、その時の正直な気持ちでした。

その時は必死になって堪えて平静を装っていた、という感じです。

つまり「何も言い返すことが出来なかった!」、「何も言い返さなかった!」ということです。

ん???

そういえば、この二つの言葉も似ているようでかなり差異がありますね。

「何も言い返すことが出来なかった!」・・・こちらは、「私は言い返したかったのだけれども、誰かのせいでその機会を奪われてしまった!」と言う印象を受けます。

この言葉には、言い訳のイメージがあります。

「何も言い返さなかった!」・・・こちらの言い方は、自分の意思で選択して行動したと言う印象を受けます。

「なめとんのか?」と言われた時の私の態度は「その言葉を受け入れた」人が取る態度ですね。

その時気付きました。

これが私の常識なんだ~!

私は非難されて当然!

批判の声の方が正しい!

私の考えはやっぱり間違えている!

これが私の常識なのに気付きました。

もしも「私はあなたのことを舐めてなんかいない!」と思っていれば「何をおっしやっているんですか?意味が分かりませんけど・・・?」と反論することもできますよね。

「それってどういう意味ですか?」と尋ねることも出来ます。

でもそういう言葉が出てこなかったということは、「なめとんのか!」と言われた時にそれを受け入れる心の状態が既に出来上がっていたと言うことなのです。

「私にはそのように言われてもおかしくない!」と心が思っているからその状況に違和感を感じないのです。

「ほらやっぱりそうだ!」と、自分に向けられた否定の言葉を拾って確信している自分に気がつきました。

なぜ上司の言葉は信じるのに、自分の言葉を信じられないのでしょうか?

『反抗出来なかったのではない!反抗しない!』と心に決めたのだ!

私は何のために自分の言葉を信じないのでしょうか?

恐らく何らかのメリットがあるはずです。

親に捨てられるのが怖かったのでしょうか?

悪い子だと言われるのが怖かったのでしょうか?

1週間くらいかかりましたが、ある時気がつきました。

「私は反抗期がなかったんじゃない!反抗しないと自分で選んだのだ!」と。

私は反抗期がなかったんじゃない!

『反抗しない!』と自分で決めたのだ!

恐らく親自身も自身に対して自信が持てなかったのだろうと思います。

その自信のなさを埋めるために、私を良い子の鋳型に押し込んでしまったのかも知れません。

つまり親の自尊心を満たすために私が良い子であることを要求されたとも考えられます。

う~ん、これは違うな!

ここでも「何々された!」という言葉を使っていますね~!

これらの言葉は、外部からの力に操られている印象ですね。

「それを自分が主体的に選択した!」ととらえなおしてみます。

「私は良い子でいた!」

「良い子を演じた!」

おおっ!だいぶ印象が変わりますね!

するとこんな疑問が沸いて来ました。

「なぜ私は自分の意思で親に対して良い子を演じたのか?」

何か目的かメリットがあったのだと思いますが、今はまだそれが何かはわかりませんねぇ~!

「私が良い子を演じることで良い家庭を作った!」

「良い家庭を作るために、家族を幸せにするために、私は自分の意思で良い子を演じた!」

おおっ!これは新しい考え方ですね~!

こんな捉え方をしたこと、今までありませんでした

そうするとなんだか自信のようなもの、「人生の主導権を握った!」感が出てきました。

人生の主導権を放棄した考え方・・・私は良い子であることを強制された!

人生の主導権を保持した考え方・・・自ら望んで、良い子を演じて良い家庭を作った!

同じ現象をどの様にとらえるかで、見える世界が変わって来るということを知りました。

このように自分を起点にして状況を理解して行く事を、自分基準と言います。

それに対して、自分以外の人を起点に考えて行く事を他者基準と言います。

心理学の本などで、「自分基準で物事を考えて見よう!」と書かれていますが、自分でやろうとしてもなかなか上手く行きません。

それは、自転車と同じです。

自転車に乗れない子供は、二輪走行の感覚をつかめていないので、補助輪を外すと恐怖心が先に立ちます。

ところが、一度感覚をつかんでしまえば、スイスイと走り回ることが出来ます。

一度自転車に乗れるようになった人が、「やっぱり補助輪のあった方が乗りやすいので、もう一度補助輪を付けてください!」と言うことはありません。

今まで他者基準で物事をとらえるクセのあった人は、自分で意識して変えていこうとしない限り、一生他者基準のままです。

ところが、一度自分基準の感覚がつかめても、時々見直す必要はあります。

あー、やべぇ~!また他者基準で考えていたよ~!

と言うことを何度も繰り返しながら、少しずつ慣れていくのだと思います。

まとめ

本日は他人基準で生きるのではなく、自分規準で生きる方法についてお話しました。

『~された!』 という言葉遣いを『私が~した!』 と言い換えることがコツでしたね。

このような考え方で私はだいぶ楽になりましたよ。

最初はしんどいかも知れませんが、チャレンジしてみてください。

もしも、にっちもさっちも動けなくなったら、カウンセラーさんに相談してみて下さいね。

カウンセラーに相談したり、心療内科を受診するというのは、とてもハードルの高いことかもしれません。

しかし今時カウンセリングを受けるのは、病院に風邪薬をもらいにいくほどの軽いものです。

一歩前に踏み出して下さいね。

私が参考にしたのは次の書籍です。

運営者
平野 新次郎

妻と1女3男の父親です。

サラリーマンをしながら子育てに奮闘しています。

会社での社員教育と家庭での子育てが全く一緒であることを発見しました。

良き上司は良き父親になれるし、子どもたちと楽しく関わると部下とも良い関係を築くことが出来ます。

このサイトでは、サラリーマンをしながら遭遇した子育ての問題とどのように向き合い、クリアして行ったのかについてお話しします。

子育てと仕事に奔走しているお父さんお母さんの参考になれば幸いです。

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